日本のインフラが直面する「老朽化」という危機。中でも、全国に約73万橋ある橋梁は急速に老朽化が進行しており、そのうち約59%が2032年度には建設後50年以上経過するといわれています。
橋梁の維持管理を専門に研究し、その最前線で”賢い壊れ方”を設計するという逆転の発想と、身近なテクノロジーで立ち向かう長崎大学の山口浩平准教授。熊本地震の現場で得た教訓を胸に、インフラ維持管理の未来を再設計する研究と社会実装の今を取材しました。
話を聞いた人
山口 浩平 さん
長崎大学大学院 工学研究科 准教授
博士(工学)。九州大学大学院修了後、同大学での助教、一般財団法人橋梁調査会を経て現職。「緊急災害対策派遣ドクター(TEC-FORCE)」や長崎県の委員なども務め、研究と実務の両面から日本のインフラを支える。
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“賢く壊れる”設計を— 熊本地震がもたらした転換点
「地震等の災害時にびくともしないような橋を、税金によって作られる日本のインフラにおいて実現するのは不可能です」
山口准教授は、インフラが抱える厳しい現実を率直に語ります。そんな山口准教授の研究室では、橋梁を中心とした社会インフラの維持管理時代を見越した様々な研究に取り組んでいます。彼の研究の原点は、大学で学んだ理論と、現場の現実との間にあった大きな溝でした。
博士課程では九州大学で力学を専門とし、橋をいかに強く作るかを研究。その後、助手になってからも同じ研究を続けていましたが、東日本大震災を機に、橋の柱や上部構造を補強する研究を始めました。しかし、学会等で研究を発表した時に言われるのは「理屈はわかるけど、実際の現場とは違うんだよね」という言葉。現場とのずれを感じていたといいます。
そこで、実際の現場を見るため、橋梁診断の実務を担う「一般財団法人橋梁調査会」での勤務を始めます。そして1年が経った頃、担当していた熊本県で熊本地震に遭遇しました。「この経験が非常に大きなきっかけとなりました」と山口准教授は当時を振り返ります。
「被災地に赴き、橋がどのように壊れたか、どんな補強をしていた橋が助かったのかを目の当たりにしました。また、形がなくなるほど壊れた橋は少なかったため、緊急で支援物資を届ける『みち』としてどういう修繕方法が適切かも現場で見ることができたのです。さらに、兵庫県南部地震の甚大な被害を受けて改定された道路橋示方書の新基準で新設または補強された橋梁の損傷状況も把握することができました」
熊本地震を通じて、多くの課題を目の当たりにしたという山口准教授。最も望ましいのは「壊れない橋」ですが、税金で橋を作り、維持している今の日本においては、災害時にびくともしないような橋は作れない。であれば、直しやすく、見つけやすい個所で壊れる「ダメージコントロール」の考え方を積極的に設計に取り入れる必要があると感じたといいます。
それをきっかけに、維持管理を中心とした研究にシフト。インドネシアや中国といった海外諸国でも橋の維持管理が課題となる未来が見えており、日本以外でも求められる研究になることからも、研究と社会実装を進めています。
iPadが橋を救う—「身近なものでできる」技術選定の理由
山口准教授の研究室が使う道具の一つに、「iPad LiDAR(ライダー)」があります。LiDAR(Light Detection and Ranging)とは、対象物にレーザーを照射し、反射して戻ってくるまでの時間を計測することで距離を測る技術です。
同様の仕組みを利用する業務用のレーザー測量機もある中で、なぜiPadを利用しているのか。その背景には、現場の実態や、「身近なものでできる」ことを大切にしたい思いがあるといいます。
全国の橋梁は約73万橋。このうち、地方公共団体が管理する橋梁が約66万橋と、全体の9割にものぼります。一方で、それらの管理をしているのは必ずしも土木の知識がある人ではなく、予算も限られている。そんな実態を目の当たりにした山口准教授は「一千万円ほどかかる高価なレーザー測量器を、一自治体が抱えるのは無理だとわかりました」と話します。
ただし、自治体が管理する橋梁の多くは、橋の長さが2m以上15m未満の小規模橋梁。まさにこれが、山口准教授が研究対象としているものなのです。
iPadのレーザーは5メートル程度しか届かない設計になっています。だからこそ、小さな橋であれば、iPadでも十分な性能で測ることができます。身近なもので安価にできるというメリットから、研究で使う道具としてiPadを選定しているのです。
それと同時に、「身近なものを通じて若い人に面白さを感じてもらうことで、維持管理という仕事の選択肢が増えてほしい」という思いもあるといいます。現在はiPhone14以降にもLiDARが標準で搭載されており、それを使って測れることを学生に伝えると、興味を持って飛びついてくるといいます。
「この橋には、この橋に見合った維持管理の仕方があるはずだ」と、調査会にいた頃から感じていたという山口准教授。特殊な技術や機械ではなく、「身近なものを使って誰でもできる」ことが彼の技術選定の哲学です。
生成AIが「報告書」を書く— 技術者の負担を減らす未来
山口准教授は、生成AIの活用にも取り組んでいます。長崎大学、NTTドコモソリューションズ株式会社、株式会社溝田設計事務所、公益財団法人長崎県建設技術研究センターは、橋梁維持管理における診断業務の高度化を目指して連携を開始し、実証実験を行いました。
従来、点検の際は人の目で橋を見ながらアナログな方式でデータを記録していました。しかし、ドローンやカメラといった技術の普及によって自動で確認できるようになるにつれ、記録されるデジタルデータはこれまでの10倍、100倍にも増えていきます。となると、人手不足などの問題も加速する中で、点検・診断後に必要に応じて措置修繕をし、記録するというサイクルが上手く回らなくなってしまう可能性があります。
加えて、2024年の道路橋定期点検要領の改訂により、より詳細に書類を書くことが求められるようになりました。ただでさえ点検しなければならない橋やデータの量が膨大にあるにもかかわらず、専門家でもない自治体の職員らへの負担が大きくなってしまったのです。
そんな状況を支援するべく、この連携が始まりました。「点検・診断・措置・記録」のメンテナンスサイクルにおいて蓄積したデータの分析・活用を進め、全国の自治体への展開を目指して取り組んでいます。
参考:https://www.nttcom.co.jp/news/pr25052201.html
社会実装の壁— 技術よりも根深い課題
技術の進化が進み、便利なものが世に出回っている一方で、技術の普及には時間がかかっているといいます。山口准教授は「優れた技術だからといってすぐに普及するわけではない」と指摘します。
「前例踏襲」の文化や、技術の導入によってコストが下がると売上が減ってしまうという経済的な課題などが変化を阻んでいるのが現実です。山口准教授は「今のまま変わらずにいたら、自分たちの仕事を減らすことになる。現場も変わらなければなりません」と危機感を示します。
そんな中、国は「5年に一度の定期点検では、何らかの新技術を活用しなければ補助金を出さない」という方針を出しました。「技術の導入は今後どんどん進んでいくと思います」と、山口准教授は未来への期待も語ります。
インフラが生き続け、安全な社会へ
笹子トンネル天井板落下事故、記憶に新しい八潮市道路陥落事故。「インフラはきちんとメンテナンスしないと牙をむく」と、山口准教授は警鐘を鳴らします。
「壊れない橋は作れない」という現実を受け入れ、”賢い壊れ方”を設計するという思想の転換。そして、業界の垣根を越えた連携へ。山口准教授の挑戦は、日本のインフラが生き続けるための、新たな選択肢を示しています。
後編では、「総力戦」で未来の社会と人の命を守る、これからのインフラ像に迫ります。



