業界動向

南洋理工大学、AIロボットによるサイボーグ昆虫の自動生産技術を開発

科学技術振興機構(JST)と南洋理工大学(シンガポール)の佐藤裕崇教授の研究グループが、AI画像認識とロボットアームを組み合わせたサイボーグ昆虫の自動生産システムを世界で初めて開発しました。これまで熟練技術者が手作業で1体あたり1時間以上かけていた製作工程を約1分に短縮し、60倍の生産性向上を実現。災害救助やインフラ点検分野での実用化が大きく前進しています。

サイボーグ昆虫製作の課題 —なぜ量産が困難だったのか

サイボーグ昆虫は、軽くて小さく、高い機動性を持つ昆虫に電子デバイスを付けて外部から操縦する技術です。従来のロボットでは入れない狭い場所での探索や調査への応用が期待されてきました。しかし、実用化には大きな壁がありました。

これまでの製作は完全に手作業で行われていました。昆虫は一匹ずつ体の大きさや形が違うため、精密な電極の取り付けには熟練技術者の高度な技能が必要でした。1体作るのに1時間以上かかるため、災害現場で必要な大量投入は経済的にも技術的にも困難な状況でした。

この生産性の問題により、サイボーグ昆虫は研究室での実験レベルに留まり、実際の現場での本格運用は実現できずにいました。

AI自動生産システムの仕組み —1分で完成する技術

今回開発されたシステムは、AI画像認識技術とロボットアームを組み合わせることで、手作業に頼っていた工程を完全自動化しました。

作業は3つのステップで進みます。まず、コンピューターがマダガスカルゴキブリを撮影して体の形を立体的に分析。次に、AIが最も効果的で昆虫への負担が少ない電極の取り付け位置をミリ単位の精度で計算。最後に、ロボットアームがその位置にバックパックと電極を正確に装着します。

この自動化により、1体あたりの生産時間を1分8秒まで短縮し、従来の60倍の速度を実現しました。さらに、新しく開発したバックパックは従来より25%少ない電圧で動作するため、省電力で昆虫への負担も軽減されています。

活用が期待される分野 —災害現場からインフラ点検まで

この技術の実用性は、すでに実際の災害現場で証明されています。2025年3月30日のミャンマー地震では、開発したサイボーグ昆虫が国際人道支援活動として初めて投入され、複雑に入り組んだ倒壊建物内での探索に成功しました。

災害救助分野では、瓦礫の隙間での生存者探索や危険箇所の事前調査での活用が期待されます。人間や従来のロボットでは到達できない場所でも、サイボーグ昆虫なら探索が可能です。

インフラ点検分野では、橋梁、トンネル、下水道の内部点検作業での需要が見込まれます。特に、人手不足と作業員の高齢化が深刻な社会インフラの維持管理分野で大きな役割を果たすでしょう。

産業施設でも、化学プラントや原子力施設の配管内検査、稼働中設備の予防保全などへの応用が有望です。大型の点検ロボットでは対応が難しい狭い場所での詳細な検査が可能になります。

生物と機械の融合技術が持つ意味

この研究は、日本のムーンショット型研究開発事業の一環として実施されました。この事業は「2050年までに、AIとロボットが共に進化し、人と共生するロボットを実現する」という国家目標の具体的な成果の一つです。

生物の優れた機能と人工システムを組み合わせるバイオハイブリッド技術は、従来の機械工学だけでは実現できない性能を可能にします。特に、省エネルギー性、自己修復能力、環境への適応力において、生物システムの優位性は明らかです。

実用化に向けた現在の課題

ミャンマーでの実証実験で基本的な有効性は確認されましたが、本格的な社会実装にはいくつかの課題が残されています。

技術面では、厳しい環境条件での安定性確保、より高度な自律ナビゲーション能力、リアルタイムでのデータ通信の信頼性向上などが必要です。現在は比較的穏やかな環境での運用が前提となっており、実際の災害現場で想定される過酷な条件への対応強化が求められます。

社会実装面では、生物を工学的に利用することへの倫理的配慮と社会の理解獲得が重要です。動物福祉の観点からの配慮と、技術の透明性を保つことで社会の信頼を得る必要があります。

産業界への影響と新たなビジネス機会

自動生産技術の確立により、サイボーグ昆虫の使い方は根本的に変わります。これまでの「高価な1体を大切に使う」方式から、「安価な多数を群れで使う」方式への転換が可能になります。

既存のインフラ点検や災害対応ロボット市場に対して、この技術は全く新しい価値を提供します。どんな狭い場所にも入れる究極のアクセス性、大幅なコスト削減、群れでの運用による安全性、圧倒的な省エネ性能という独自の特徴で、新しい市場の創出が期待されます。

ビジネスモデルも、機器を売る従来の方式から「探索サービス」「点検サービス」の提供へと変化するでしょう。データの収集と分析を含む総合的なサービスにより、継続的な収益が見込めます。

今後の展開と期待

研究チームは今後、自動組立システムの信頼性と量産性をさらに向上させ、実用化と社会実装に向けたパートナー企業との連携を加速する方針です。

技術の成熟と同時に、制度や法律の整備、業界標準の確立、実際の利用者との連携強化なども重要な課題となります。特に、公共の場での運用を考えた安全性やプライバシー保護のガイドライン作りが急務です。

この技術が広く普及すれば、災害時の救命率向上、インフラの長寿命化による維持管理コストの削減、環境保護や食料生産分野への貢献など、大きな社会的価値の創出が期待されます。

参考情報

  • 実施主体: 科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業/南洋理工大学
  • 研究プロジェクト: 「人・AIロボット・生物サイボーグの共進化による新ひらめきの世界」
  • プロジェクトマネージャー: 森島圭祐(大阪大学教授)
  • 課題推進者: 佐藤裕崇(南洋理工大学教授、大阪大学客員教授)
  • 公表日: 2025年7月28日
  • 掲載誌: Nature Communications
  • 論文タイトル: “Cyborg insect factory: automatic assembly for insect-computer hybrid robot via vision-guided robotic arm manipulation of custom bipolar electrodes”
  • DOI: 10.1038/s41467-025-60779-1
  • URL:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20250728/index.html
【PR】生成AIに関する研修はこちら