前編では、環境DNAとAIを用いた「流域DX」の技術的側面を伺いました。後編では、この技術を社会実装するための組織論と、都市の公衆衛生(ワンヘルス)への展開に迫ります。
話を聞いた人
赤松 良久 氏
山口大学 大学院創成科学研究科 教授
博士(工学)。地域レジリエンス研究センター長。環境。専門の水工学・水工水理学を基盤に、生態学やAI・ドローン技術を融合した「流域DX」を推進。国土交通省等の受託研究、民間企業との共同研究を通じて社会実装を牽引する。
https://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~yakamats/index.html
企業・行政は共に歩む「パートナー」
赤松氏は、企業や自治体との連携にも積極的に取り組んでいます。そのモデルケースが、大手建設コンサルタント・日本工営との連携です。同社の社員を大学の共同講座に受け入れ、長期的かつ一体となって技術開発に取り組んでいます。
赤松氏は、企業を単なる資金提供者ではなく、現場の課題を共有し、共に汗をかく「開発パートナー」と位置づけています。
「土木の分野は特に、技術が良いからといってすぐに社会実装されるわけではないのです。技術が使えることに加えて、どう広めていくかも戦略的に考えなくてはなりません。大学が得意とするのは研究であり、広めることに関しては素人です。逆に、そこに強みを持った企業もいるでしょう。社会実装においては、大学、企業、行政、それぞれが持つ強みを活かしながら連携することが必要だと考えています」
そうした考えから、社会実装に向けて積極的に連携しながら取り組みを進めています。
社会実装を進める中で、大切にしている視点があるといいます。それが「これまで使われてきた技術や手法をまるごと置き換えるか」ということです。赤松氏は、置き換えることは難しく、置き換えるべきでもないと話します。
「環境DNAを使えば全てのデータが取れるわけではなく、現場を知り尽くした熟練者しか得られない情報もあります。だから、従来のものも残しながら、新しい技術を入れなければなりません。古い技術のいい点と、新しい技術のそれぞれを残しながら、より良いものをつくる。難しいですが、常に意識しています」
赤松氏は、「従来の方法も続けながら、その間を補完するような形で環境DNAを用いる」ことを目指して工夫を重ねながら、現場への展開を進めています。
行政の「縦割り」をつなぐ役割に
技術の実装には課題も立ちはだかります。河川、道路、保健衛生といった部署間の「縦割り」の構造です。そこで赤松氏は、大学が中立的な「ハブ」となることで、この壁を越えようとしています。
「縦割りだと、部署間の融合がなかなかできていないんです。そんな中で、分野を超えて何かをするためには、いろいろな部署の融合が必要になるので、必然的に横のつながりができるんです。ゆくゆくは、その融合がいろいろな課題解決につながっていくと思っていて。分野の壁を破って取り組んでいるからこその強みを活かしたいと考えています」
行政の内部から横断の動きを起こすのは簡単ではない。だからこそ、大学側から「一緒にやりましょう」と声をかけ、複数の部署を巻き込んでいるのです。
分野を超え、自ら巻き込みながら取り組む赤松氏。その背景にある価値観とは。
「新しい技術がいろいろなところから出てきますが、『あれにもこれにも使えるのに、なんでここで留まってるの?』というものがたくさんあるんですよ。また、何かに特化したものが乱立していることもあります。そうじゃなくて、いろいろな分野で使えるようにしていきたい。そうしないと、技術を社会実装する際の弊害になるのではないかと思っています。だから、分野を超えて取り組むことは昔から大事にしていますね」
環境DNAで「ワンヘルス」に新たな糸口を
赤松氏の視座は、河川管理から都市の公衆衛生へも広がっています。人、動物、環境の健康を一体的に守る「ワンヘルス(One Health)」の概念です。今後研究を進めたいとの考えから、準備を進めているといいます。
例えば、下水や都市の水路には流域の情報が集約されています。そのため、環境DNA技術を応用すれば、公衆衛生の分野においても新たな可能性が拓けるかもしれません。
「水からは、例えばマダニなどの情報も得られるかもしれません。環境DNAを使えば、モニタリングももっと効率的にできるのではないかと思っています。今後、そういう分野へも展開はしていきたいです」と赤松氏は展望を語ります。
水工学の知見が、公衆衛生という異分野のリスク管理にも貢献しようとしています。流域DXは、治水・環境だけでなく、都市の健康管理にも波及しうるポテンシャルを秘めているといえます。
分野を越境する「プロデューサー」として
異なる分野をつなぐ立場にあっても、赤松氏は「自分はあくまで水工学の研究者だ」と繰り返します。
「あくまで僕の専門は水工学で物理系なので、様々な方と一緒に取り組む上で物理の考え方を常に大事にしています。専門性を大切にすることですね。生物なども面白いのですごく興味は湧くんですけど、それは専門の先生に任せて、自分がやるべきところをやる。そこのバランスは常に意識しています。
だから、実は環境DNAの深いところはあまり分かってないんです。高度な分析などは、一緒に取り組んでいる先生たちとうまく連携すればいいだけですから。自分は自分の専門性を保ち、それをちゃんと磨きながら、いろいろな方と連携して新しい研究をする。これが自分のやり方です」
他分野にのめりこみすぎず、しかし専門家と対等に対話・議論できる知識と視点を持つ。赤松氏は異なる領域をつなぐ「プロデューサー」のような役割を果たしています。
物理と生物、大学と企業、治水と環境。異なる領域をデータとデジタル技術でつなぎ、インフラ管理を持続可能な形へと再構築していく。赤松氏が挑む「流域DX」は、そのための新しいアプローチであり、日本の社会基盤を次世代へと引き継いでいくための標準のひとつをつくろうとしています。



