京都大学と公立千歳科学技術大学の研究チームが、量子コンピュータの実現に向けた画期的な技術開発に成功しました。髪の毛の1万分の1という極めて小さなダイヤモンド粒子に、量子コンピュータの核となる特殊な「光の発生装置」を組み込むことに世界で初めて成功したのです。
この技術により、現在のスーパーコンピュータでも解けないような複雑な問題を解ける量子コンピュータや、物理法則により盗聴が原理的に不可能な暗号通信の実現に大きく近づきました。
量子コンピュータとは何か?
量子コンピュータは、現在のコンピュータとはまったく異なる原理で動く次世代の計算機です。普通のコンピュータが「0」か「1」のどちらかで情報を処理するのに対し、量子コンピュータは**「0でもあり1でもある」という量子力学の不思議な性質(重ね合わせ)**を利用します。
この仕組みにより、現在最高性能のスーパーコンピュータでも解けない複雑な問題を短時間で処理できると期待されています。新薬の開発、気象予測の精度向上、人工知能の進歩、交通渋滞の解消など、私たちの生活に直結する分野での革新が見込まれています。
なぜダイヤモンドなのか
量子コンピュータを動かすには、「量子もつれ」という特殊な光子(光の粒)を、一つずつ安定して作り出す装置が必要です。この装置が、量子技術の心臓部となります。
これまでの研究では様々な材料が試されてきましたが、どれも大きな問題を抱えていました:
- 窒素を使った装置:発生する光の色の純度(単色性)に課題
- シリコンやゲルマニウム:氷点下273度に近い極低温が必要
- 鉛を使った場合:大気圧の約7万6千倍という超高圧と2100℃の高温が必要
今回開発されたスズを使ったダイヤモンド装置は、これらの問題をすべて解決します。高圧高温処理を必要とせず、比較的穏やかな条件で、品質の高い光子を安定して発生させることができます。
髪の毛の1万分の1サイズを実現
研究チームの最大の成果は、この装置を極めて小さなナノダイヤモンドで作ることに成功したことです。開発されたダイヤモンド粒子は10ナノメートル以下、つまり髪の毛の太さの1万分の1という極微小サイズです。
従来はバルク(塊状)のダイヤモンドでしか実現できなかった技術をナノサイズで実現したことで、光ファイバーなどの超微細な素子と一体化させやすくなりました。これにより、大きな装置でしか利用できなかった技術を、より効率的なデバイスに応用できる道が開けます。
実験で確認された性能
- 光子発生効率:毎秒最大約49万2000個(実用レベルの明るさ)
- ノイズレベル:同時計数値0.04±0.11(ほぼ理想的な値)
- 背景光子:ノイズとなる余計な光子の発生がほとんどない
「量子もつれ」が生み出す革命
この技術の核心にある「量子もつれ」とは、複数の光子が、どんなに離れていてもお互いに影響し合う不思議な関係を持つ状態です。片方の状態を観測すると、もう片方の状態が瞬時に決まります。アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んだ現象です。
この現象を活用することで、従来では不可能だった計算や通信が実現できます。例えば、現在の暗号技術の基礎となっている巨大な数の素因数分解を短時間で解いたり、複雑な化学反応をシミュレーションして新しい材料を設計したりできるようになります。
社会への影響
この技術が実用化されると、私たちの生活は大きく変わることが予想されます。
医療分野では、新薬の開発期間が大幅に短縮され、これまで治療が困難だった病気の治療法が見つかる可能性があります。個人の遺伝情報に基づくオーダーメイド医療も現実的になります。
交通・物流では、リアルタイムでの最適ルート計算により、渋滞のない効率的な移動が可能になります。自動運転技術の精度向上にもつながるでしょう。
金融・セキュリティ分野では、絶対に破られない暗号技術により、オンライン取引やデジタル決済の安全性が飛躍的に向上します。
環境・エネルギー分野では、効率的な太陽電池や蓄電池の開発、気候変動の精密な予測などが可能になります。
新しいビジネスチャンスの誕生
この技術の普及により、まったく新しい産業分野の誕生が期待されます。
新たな産業領域
- 量子デバイス製造業:精密加工技術を活かした新しい製造産業
- 量子ソフトウェア開発:量子コンピュータ専用プログラムの開発
- 量子サービス業:量子計算能力を提供するクラウドサービス
既存産業の変革
- 通信業界:量子暗号通信サービスの提供
- 金融業界:量子コンピュータを活用したリスク分析
- 製薬業界:量子シミュレーションによる新薬開発
これらが新たな収益源となることが予想されます。
実用化への道のりと未来への期待
研究チームは今後、この技術を実際のデバイスに組み込むための開発を進めます。光ファイバーと接続された高効率な光子源や、量子情報を遠くまで送る量子中継器などの開発を目指す方針です。
実用化に向けては、技術面だけでなく、社会の理解促進、専門人材の育成、法制度の整備なども重要な課題となります。特に、量子暗号通信を社会インフラとして普及させるには、通信事業者や政府機関との連携が不可欠です。
10年後、20年後の社会では、量子技術が当たり前のように使われ、今では想像できないような新しいサービスや製品が生まれているかもしれません。この技術が、その未来社会の基盤となることが期待されます。
研究概要
- 研究機関: 京都大学大学院工学研究科、公立千歳科学技術大学、量子科学技術研究開発機構
- 主要研究者: 竹内繁樹教授(京都大学)、髙島秀聡准教授(公立千歳科学技術大学)、嶋﨑幸之介特定研究員(京都大学)
- 発表日: 2025年8月13日
- 掲載誌: ACS Photonics(国際学術誌)
- 論文タイトル: “Creation of single tin vacancy color centers in small nanodiamonds”
- DOI: https://doi.org/10.1021/acsphotonics.5c00627
- 支援機関: 科学技術振興機構(JST)さきがけ、ERATO「竹内超量子もつれ」、文部科学省Q-LEAP、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金ほか




